2011/08/04

舞い上がる「私」の理論 Dancing Self Theory

Experimental Dance, Lecture Performance 
August 4, 2011
Festival : WWFes 2011
Asahi Art Square (Tokyo,Japan)



ダンスを通じた言語学。
二人の交す「会話」の中に潜む意識の流れを、ダンスにし、また、ダンスを会話に戻す。
実験でもあり、ダンスでもあり、
「詩とは何か」という問いかけへの答えでもあります










コンセプト  宇野良子(言語学)
ディレクション  河村美雪(アート) 
デザイン 石山星亜良(デザイン)

システム構築 
鈴木啓介(脳科学・人工生命)、丸山典宏(人工生命)、大海悠太(人工生命)
林叔克(ロボティクス・生物物理)
出演
大森葵(ダンス)
大森郁(ダンス)
大森茜(ダンス)
伊東沙保(俳優)

藤川啄史  (美術)
テキスト
円城塔(作家)


音楽  松崎遥
記録 Photo Azumi Kajiwara、小田悠貴(映像)、高田泰子(写真)


コンセプトを宇野良子が担当。イベントの構成、演出、ダンサーへの演出(ルールの発見)などを河村が担当。

2011/05/15

群れが生きのびている。私を抱えて、離れて。

Swarm survives, continuing having me and release me.
Media Art Perforance
2011. 5/14,15
60-90min  4 stages  


数えられない記憶が未来空間を告げている。
私がここを離れても。
音と記憶のセッション。







Sound Swarm × Performance
たくさんのサウンドファイルが、まるで生き物のように、自律的に相互作用しながら群れを作り、仮想空間を動き回る。そんなシステム、Sound Swarmにはある種の意識が芽生える。この作品はSound Swarmの意識を構築し、その意識と遊ぼうとするものだ。
 リアルタイムに録音されたサウンドが次々と群れに参入し、分裂し進化する。古いサウンドファイルは古い記憶であり、新しいサ ウンドファイルは新しい記憶である。古い記憶が新しい記憶と交わって変容してゆく。したがって群れは様々な時の記憶の集合体であり、それはどこか遠い場所 の、誰かの記憶や風景でもある。
 パフォーマンスプロジェクトには、観客が自分でシステムの中を歩き回るのとは違う Sound Swarmの経験のされ方に誘う力がある。
Sound Swarmの作る群れに、パフォーマーが過去の問いに答える声、新たに紡がれる音楽、身体のしぐさによって参入していくことで、Sound Swarm とセッションする。それは、記憶が記憶を呼び起こし、自らの身体運動によって記憶を変遷させていくダイナミックな構造だ。やがて、そこにあった記憶の集団は変化し、なにかパフォーマーそれ自身の形を帯びてくるだろう。こうして、パフォーマンスは音とドキュメンタリー文学の二つの顔を持った「現実と架空がつかず離れずする意識の世界」の渦中へ観客が分けいっていく手伝いをする。そのとき、いまここにいる観客自身も入り込んだ、けれど、私と離れても生き延び続けていく記憶が生まれている。
 畢竟、私たちの意識とは、世界を眺める記憶の束である。私たちはその空間に佇んでむことで、イマココにしか生まれない誰かの意識にアクセスできるはずである。



『群れがいきのびている。私を抱えて、離れて』 

 科学には強い科学と弱い科学というものがあると思う。強い弱いは良い悪いではない。
強い科学とは、生き残るためのサバイバルの科学であり、弱い科学とは、平和共存とコミュニケーションの科学だ。
アメリカは強い科学を促進する代表であり、日本は弱い科学の代表だ。その違いについて考えさせられたのも、この3.11の震災が契機となっている。
いまこの時にアートには何を期待するのか。 アートにもそうした弱い/強いの区別はあるのか。それを作品の中で問うていく。
 そもそもぼくはアートとサイエンスに違いはないと思っているし、弱い科学こそ本質的に強いものだと思っている。長い時間で見た時に見えてくる強い科学。それこそが目指すアートである。
 今回の河村美雪と大谷能生とのアートパフォーマンスは、時間と意識と記憶に関するものである。人の意識や記憶は、1000億の神経細胞の活動の上に成立している。
しかし、人の記憶は、コンピュータの「メモリー」とは大きく異なっている。
コンピュータの記憶は、ひとつひとつラベルをつけられてしまわれ、いつでもどれでも呼び出せる。これに対し、人の記憶は、どうもお互いに「独立ではない」。つまり、

記憶は別の記憶と相互に関係し合い、変遷し、動き回る。

 そもそも、人の記憶とは、例えば「青い手帳」を「青い手帳」としてそのまま記憶する訳ではない。
人の記憶は、コピーではなく創造的な行為であり、たくさんの記憶の運動がそこにはある。
そして、この関係し動き回り変遷する記憶の束のことをわたしたちは「意識」という。覚える、忘れる、思い出す。 
どれもコンピュータにはないものだ。 それらはどうして脳に生じるのか。それを司る意識が、記憶の運動そのものとしたならば、「記憶の運動」はなにを覚えて忘れて思い出す?
 この作品は、現在の脳のモデルではまだまだ解くことの出来ない記憶の運動性を、3次元のサウンドシステムの運動としてつくり出す。
ここで体験するのは自律的に運動するシステムだ。
最初にスタートボタンを押したらもう自動的に動き続ける。たくさんのサウンドファイルが、自律的に相互作用しながら群れを作り、仮想空間を動き回るのだ。
古いサウンドファイルは古い記憶であり、新しいサウンドファイルは新しい記憶である。古い記憶や新しい記憶と交わって変容してゆく。
あるサウンドファイルは思い出され(われわれの耳に聞こえ)、あるサウンドファイルはそこにあるだけで思い出されない(われわれの耳には聞こえない)が、全体の記憶の運動をつくり出すのに寄与している。
記憶は決して呼び起こされない記憶と連動して自律的に変容する。この部屋の中に座ることで、様々な時の記憶の集合体はすでに観客を巻き込んでいる。
われわれはすでに群れの一部であり、だから記憶の群れはどこか遠い場所の、誰かの記憶や風景でもあると同時に、自分自身のつくったものでもある。
あるいは来るべき未来の記憶でもある。そういう記憶のつらなりを、わたしたちは主観的な時間の流れと呼ぶ。
 河村美雪と大谷能生は、自らの言葉と動きと会話、演奏によってその群れに参加し、時間の系列をつくり出す。彼らの動きは、記憶の運動を変遷させることのできる別な仕組みである。
記憶の集団は変化し、やがてこの空間はパフォーマーそれ自身の意識の形を帯びてくるに違いない。
畢竟、われわれの意識とは、世界を眺める記憶の束である。われわれは記憶の運動を体験することで、そのシステムが持つ意識にアクセスし、観客の記憶もまた少し配置を変える。
その僅かな配置換えこそが、この作品から観客へのフィードバックである。  (池上高志)


Direction by 大谷能生×河村美雪
出演:大谷能生、河村美雪、Sound Swarm
Sound Swarm Direction by  池上高志
Programming  大海悠太、松本昭彦、丸山典宏
音響 半澤公一(innovation)
制作 渡辺タケシ(ふつうの人新聞)

協力:大海研究室(東京工芸大学)、ペンと点(東京造形大学)㈱ BF.REC、FOSTEX COMPANY
主催:池上研究室(東京大学)× CS-Lab(東京造形大学)

2011/04/16

音の海を泳ぐ

エーテルスイミングスクール第3回目
ゲスト講師:大海悠太丸山典宏
2011年4月16日11:00 ~ 18:00
東京造形大学大 (CSLAB, ペンと点企画)
河村美雪 キュレイション





集団でのインタラクションによる環境の進化の実験
今回の実験では、受講者に短い音を採取(レコーディング)してもらった後、プログラム上の空間にその音源を配置し、それと対応する実空間(複数台のセンサー (Kinect)で囲んだ空間)の中で受講者が動きまわることによって、採取してきた音の組合せを進化させた。
動きに呼応して進化するこのシステムでは、人間とシステムの関係は純なインタラクションに留まらず、予測不能で多様な音の響きの変化をつくり出していく。

講師プロフィール
大海悠太 博士( 学術)。
東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻修了。
現在は東京工芸大学工学部電子機械学科助教。身体を持った人 工生命を構築することを目指し、生命の自発性の構成法を探っている。近年は、対話型進化計算によってシステムの持つ非線形ダイナミクスを進化させる研究 や、iOS アプリを用いた言語の意味の研究など、様々な分野を横断する研究を行っている。

2011/03/05

言葉が告げる「私」という水域

エーテルスイミングスクール第1回目
ゲスト講師:宇野良子(認知言語学)
20113514:00-17:30 
東京造形大学大 CSプラザ(CSLAB, ペンと点企画)
河村美雪 キュレイション




言葉と「私」のインタラクションを楽しむ
宇野良子氏による「生命」「言語」を巡るワークショップ。
道具を使ったコミュニケーションの中で、生み出される非言語的な動きや変化を「生命」とすることができるだろうか。といったディスカッションから、その変化を「起承転結」を中心に読み解いた。受け手と、送り手のコミュニケーションの中で発生する個々の物語を、参加者同士が実際に議論することで、認知と言語の理解を高めた。



講師プロフィール
宇野良子 認知言語学者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修了。博士(学術)。現在は、東京農工大学大学院・言語文化科学部門・専任講師。 言葉は情報を伝えるためだけではなく、相手と場を共有していることを確認するために用いられるのだ、という観点から、文法の構造を分析している。近年は、人工生命や自然言語処理などとの共同研究で、言語のダイナミズムを扱う新しい方法論の構築を目指している。著書「Detecting and Sharing Perspectives Using Causals in Japanese」(ひつじ書房、2009)。